今日は柿泊での練習を行い、3年生が練習参終わりに一言ずつ後輩たちにメッセージを残しました。
中井は1・2年時に受けてきた先輩たちからの厳しい言葉を振り返っていました。
「苦しいから逃げていたのではなく、逃げるからさらに苦しくなっていった」
兵庫県から長崎という地に足を踏み入れることは、よほどの覚悟がなければ難しいと思います。
ダブルスを中心に活躍してくれ、長崎の選手たちに新しい価値観をもたらしてくれました。
後輩を鼓舞し続けたことで、人を育てる楽しみを知りました。
4年後、夢を追いかけ続けて良い指導者になってほしいです。
中嶋は自分自身の誇りを見失わなかったからこそ、挫折から立ち直ることが出来たと胸を張りました。
「海星テニス部で3年間やりきれて、代表として海星という文字を胸につけ戦えたことが自分自身の誇り」
自分自身の力の無さが失敗につながったと嘆きながら、自分自身に勇気を与えたのも結局は自分がやってきたことでした。
馬鹿にされても、無理だと言われても、恥をかいても、自分が誇りを失わない限り必ずやりきれることを教えてくれました。
小野は多くの怪我と戦った3年間を振り返りました。
「準備をしない選手に目標を語る資格はない」
一番大事な時期に怪我をして、本当の意味での自信をつけることが出来なかった。
怪我をしたからこそ、後輩たちの怪我に対する無神経さに物足りなさを感じる。
目標を語る前に、怪我をしない身体をつくり、自分自身の身体をよく知ってほしい。
出たかった大会や遠征に行けなかった経験は、下から積み上げていくことの大切さと積み上げたものは一瞬で崩れてしまう危険性もあることを教えてくれました。
藤永は主将として、長崎県のリーダーとして、たくさんの我慢と苦悩を抱えながら走り続けてきました。
「自分にとってそうだったように、海星の選手たちには憧れの存在であってほしい」
中学1年生のとき、迷いなく高校を決めた。
高校生の立ち振る舞いが、あらゆることのお手本だった。
力強さは使命感を持つことで、さらに高まる。
後輩たちにも海星の選手として、長崎の様々な選手たちに刺激を与え、憧れの存在になり続けてほしい。
3年間、重圧を感じることが出来たことは、自分の誇り。
この学年は努力して成長してきた学年です。
しかし、常に全力で取り組むことが出来なかったように思います。
怪我や不調、重圧やおごりなど様々なことから、山があり谷がありました。
才能豊かな選手が多かったため、自信をつけさえすれば、もっと活躍できたはずです。
結果がでなければ誰からも認められない、その時期に地道な努力を積み重ね、成功体験を積んでいくことで自信になる。
高校を卒業した後に、あの時はまだまだだったなと振り返った時は、本当に努力して成長している証です。
これからも、多くの仲間に出会い、たくさんの経験をして、今度はOBとして海星の選手たちが憧れる存在になってほしいです。
今後も彼らの応援よろしくお願いします!!