さよならは別れの言葉じゃなくて・・・


君に勧(すす)む金屈卮(きんくつし)   この盃(さかずき)をうけてくれ

満酌(まんしゃく)辞(じ)するを須(もち)いず どうぞなみなみつがしておくれ

花発(ひら)けば風雨多し 花に嵐のたとえもあるぞ

人生別離足る さよならだけが人生だ

~于武陵「勧酒」 訳:井伏鱒二~

 

三月を迎え、様々な学校で各種の式典を終えていく時期になりました。

私がこの時期になるたびに思い出す詩が上記の「勧酒」です。

遥か古代の中国で書かれたにも関わらず、読むたびに現代にも通じる人生の真理が表されているとしみじみ思います。

その一方で、この「さよならだけが人生だ」に真っ向から応えるこんな詩もあります。

 

さよならだけが 人生ならば

また来る春は何だろう

はるかなはるかな地の果てに

咲いている野の百合何だろう

 

さよならだけが 人生ならば

めぐりあう日は何だろう

やさしいやさしい夕焼けと

ふたりの愛は何だろう

 

さよならだけが 人生ならば

建てたわが家は何だろう

さみしいさみしい平原に

ともす灯りは何だろう

 

さよならだけが人生ならば

人生なんかいりません 

~「さよならだけが人生ならば」寺山修司~

 

これもまた心に残るフレーズです。

「勧酒」に人生の様々な局面で救われたと語る寺山修司氏によって書かれた作品ですが、「さよなら」が満ちる人生の中にあっても、人がその営みの中で形成していく多くのものの大切さを強く歌い上げています。

私個人としては「さよなら」はこれまでの流れに一度区切りをつけ、次に進むために口にするもの、自身のために口にするものだと思っています。

それを言う当人が、現在を過去に変えて心を整えていけるように。

そして、新しい場所に澄んだ気持ちで向かえるように。

 

何日かすると私もこの言葉を口にして、現在を過去にしてしまわなければならないでしょう。

ですが、それを悲しむべきこととは考えません。多くの過去に支えられているからこそ、人は未来に目を向けることができるのですから。

 

 

 

これらの写真は、現中学3年生の一年前の姿です。 「将来の夢」を書き、カメラに屈託のない笑顔を向けてくれました。

 

 

この一年で、彼らの環境や心境には多くの変化がありました。 ここに書いた夢をさらに確信に変えた子もいれば、新しい自分を見つけて、一年前とは違う夢を抱き始めた子もいます。

 

 

 

一年前のこの瞬間には想像もしていなかった「新しい未来」が、それぞれの中に生まれています。

 

 

たとえ夢の形が変わっても、歩む道が分かれたとしても、この場所で笑い合った事実は変わりません。

一年前の彼らが描いた「未来」は、今の彼らにとって大切な「過去」という土壌になりました。

「さよならだけが人生ならば、めぐりあう日は何だろう」

別れは寂しいものですが、それは彼らが自分の足で、自分の選んだ「次の春」へ向かおうとしている証です。

変化を恐れず、過去を糧としながら歩んでいく彼らの強さを信じています。

卒業式まであと二日。

この学び舎で過ごす最後の時間を、最高に澄んだ気持ちで締めくくれるよう、大切に過ごしてもらいたいものです。