薄く雲がかかる青空に今日は良い天候になることがうかがえます。
新年度へ向け、部屋の清掃や資料の整理などが行われる時期になってきました。
本日は、国公立大学・後期試験日、受験生皆さんの健闘を祈念いたします。
今日も校長先生からメッセージが届いています。
3月12日
海星中学高等学校の皆さんへ
校長 武川 眞一郎
おはようございます。今朝の気温は4度 晴れです。
先週末の温かさに比べると、寒さが一段と堪えます。この時期の気温は、晴れの時は低く、雨の時は温かいものです。今日は晴れで寒い、季節の特徴がでている気候です。日の出が早くなりました。午前6時には、先週はまだ暗かったのですが、今日はぼやあとした明るさがあり、学校から対岸の稜線がくっきりとわかるようになってきています。日の出がどんどん早くなっているのが実感できます。
昨日、WHOのテドロス事務局長が、新型コロナウイルスは「世界的なパンデミック」と宣言しました。イタリアでは人の移動制限が実施されているという報道もありました。私たちに出来ることは「一人一人ができることを確実に実行していく」ことで、感染を防ぎ流行をとめる努力をしていかなければならないと思います。
臨時休校中にも関わらず、中学生・高校生が私服で街中にいるという報道がなされています。海星学園の生徒がその中にいないことを願いますが、改めて、今回の臨時休校の措置に至った経緯をご理解ください。
新型コロナウィルスは感染症で、季節性インフルエンザと同じようにウイルスによって感染していく病気です。強いだるさや息苦しさがあり、特に高齢者や基礎疾患(持病)のある方などは亡くなる可能性が高まる病気です。また、インフルエンザと違い詳しいことがわかっていない病気です、有効なワクチン等もありません。社会全体で感染を防ぐことが必要と判断され、臨時休校の措置が取られました。
私たち一人一人が社会の一員として、咳エチケットや手洗いなどの基本的マナーを実践し、それ以上の感染防止策を行っていかなければならないと思っています。
改めて、この病気の特性を理解して、不要不急の外出はしないでください。また、基本的には、授業時間中は自宅にいること、外出をしなければならない用事がある場合は、外出時間を限定し保護者に許可を得てください。その際、必ずマスクを着用し。帰宅した際は必ずうがい・手洗いを励行するようにしてください。
皆さん一人一人の心掛けで、この感染症は必ず防ぐことができます。
規則正しい生活(睡眠、食事、運動)を行い、感染症に罹らないように注意して休校期間を過ごしてください。
臨時休校中は次のことを守り、感染しないように注意してください。
(1)人の集まるところへの外出はしないでください。
(2)基本的に自宅で過ごすようにしてください。
(3)自宅では、咳エチケットや手洗い等の感染症対策を行うようにしてください。
(4)起床時と夕食後 必ず検温して記録をつけるようにしてください。
(5)部活動は禁止です。
(6)自宅では、規則正しい生活をし、復習などを含めて家庭学習を行うようにしてください。
(7)先生方は、学校にいますので何か相談することがある場合は電話で問い合わせてください。登校する場合は、事前にクラス担任に連絡をしてから登校するようにお願いします。
(8)中学卒業式は行いますが。規模を縮小して行います。
(9)休校中の学校から皆さんへの連絡はメールメイトとHPになります。HPをこまめに見るようにしてください。
昭和26年(1951年)発行された校友会誌の写し
さて今日のTOP写真。本日の振り返りは生物部室に残されていた資料の一部です。それは、新年度のために資料の整理をしていた生物室から出てきた資料でした。現生物部顧問の美明先生が9年前に年配の先生からいただいた交友会誌の写しでした。
昭和26年(1951年)に発行された校友会誌には、『生物部』ではなく『生物學研究部』として存在しており、日々研究に勤しんでいたことが記されていました。
多くの漢字が旧字体で記されています。内容は目を見張るようなものでした。
当時の生物學研究部の顧問は、内川先生で随所にどのように生徒をご指導されていたのかが綴られていました。
一部抜粋(表題:蝶類及蛾類の鱗粉に依る分類に就いて)
「僕等がこの研究を思い付いたのは去る七月廿六日(二十六日)生物學研究部が地理學研究部と同行第二回多良岳一帯調査に参加した時に昆虫採集のため顕微鏡観察の際蝶類の鱗粉と蛾類の鱗粉との間に相當(そうとう)の變形(へんけい)があることに氣(き)が付きそのときに相當(そうとう)大きさにも變化(へんか)があった。そこで内川先生の指導を受けて鱗粉の分類に手をつけたのが始まりである。・・・」
現生物部の生徒もこの資料を読み込みました。生徒達は、先輩方が現在の私たちに残してくれた軌跡を知り、今度は私たちがその軌跡を次の世代へと伝えていかなければならないと心を新たにしたようでした。
※写真は昭和26年(1951年)に発行された校友会誌の写し