3月16日おはようございます


二十四節気七十二候では、そろそろサナギが孵化して蝶が舞いだすころです。

昨夜の風雨は春の嵐。遠い山の中腹に色づいた山桜の色が見えます。今週木曜日は入学予定者登校日の予定です。三月も第3週目になりました。今日も皆さんに校長先生からメッセージが届いています。

3月16日

海星中学高等学校の皆さんへ

校長 武川 眞一郎

 

おはようございます。今朝の気温は6度 晴れです。

今朝午前3時頃、強い風が吹いていました。風音で起きて方がいたのではないでしょうか。日毎に明るくなり、午前6時には雲の動きがわかるような明るさでした。

先週土曜日(3月14日)は海星中学校の卒業式がありました。規模を縮小し行いましたが、保護者様のご参加もいただき中学3年生は元気よく中学校舎を巣立っていきました。来春は高校1年生として学園生活を送ることになります。節目として立派な卒業式を挙行できました。改めまして、中学3年生皆さんと保護者皆さま「ご卒業、おめでとうございます」

式後、卒業生から「先生、入学式はどうなりますか」と尋ねられました。私は「ぜひ行いたい、式自体を短縮しても行いたい」と言ってみたものの感染者が増えている状況では、即断もできないのではと危惧しているところです。

感染者が少なくなり一日も早く通常の学校生活に戻ってほしいと願っています。

臨時休校が長期にわたり生徒の皆さん時の過ごし方に思いをめぐらせていますが、休校というものを感染対策のためと前向きに捉えてください。学習面でのやり直しが十分に行われていますか。授業で行った問題などを数回繰り返すことで知識の定着がはかられるのではないでしょうか。掃除など家事の手伝いを行ってください、お仕事から帰ってくる保護者の方の負担を少しでも軽くしてはどうでしょう。

新型コロナウィルスはウイルスによって感染していく病気です。目に見えないウイルスですから不安や恐怖がそこから生まれるのでしょうが、専門家の意見によると基本的な対策を守ると、感染率が非常に低くなると言われています。繰り返しになりますが、私たち一人一人が社会の一員として咳エチケットや手洗いなどの基本的マナーを実践していきましょう。皆さん一人一人の心掛けで、この感染症は必ず防ぐことができます。

規則正しい生活(睡眠、食事、運動)を行い、感染症に罹らないように注意して休校期間を過ごしてください。

臨時休校中は次のことを守り、感染しないように注意してください。

(1)人の集まるところへの外出はしないでください。
(2)基本的に自宅で過ごすようにしてください。
(3)自宅では、咳エチケットや手洗い等の感染症対策を行うようにしてください。
(4)起床時と夕食後 必ず検温して記録をつけるようにしてください。
(5)部活動は禁止です。
(6)自宅では、規則正しい生活をし、復習などを含めて家庭学習を行うようにしてください。
(7)先生方は、学校にいますので何か相談することがある場合は電話で問い合わせてください。登校する場合は、事前にクラス担任に連絡をしてから登校するようにお願いします。
(8)中学卒業式は行いますが。規模を縮小して行います。
(9)休校中の学校から皆さんへの連絡はメールメイトとHPになります。HPをこまめに見るようにしてください。

ドンの山

さて、本日のTOP写真は大正時代の本校運動会の風景です。その奥に見える山は通称『ドンの山』です。以前もこのブログで紹介しましたが、本日はこの『ドンの山』について、ご紹介させていただきます。

1856年、下田(静岡県)に着任したアメリカ総領事ハリスとの間で江戸幕府との交渉が開始され、1858年に日米修好通商条約が結ばれました。この条約には、神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港が盛り込まれていました。それらの地には外国人居留地を設けることが合意されたため、長崎でも東山手町をはじめその周辺には多くの外国人居留地が造成されました。

東山手周辺はもともと段々畑でした。そこを住居用に造成。現在でも残る石垣に、当時段々畑畑だった面影を見ることができます。

 

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道路も整備され石造の道は至る所で生活道路として生きています。

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東山手町から続く元町の坂を上っていくと長崎港を見渡せる景観が大きく広がります。
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真ん中やや左に見える青い屋根が海星学園です。そしてこの坂を上ると通称『ドンの山』といわれた山頂にたどり着きます。

ここは何故『ドンの山』と呼ばれるのか。

天気を調べる『長崎測候所』は、1878年(明治11年)に設置決定。この長崎測候所は、日本初の地方測候所として開設されました。
(前年の1877年に大久保利通氏の建議により全国5カ所・長崎・兵庫・仙台・青森・新潟)

当時の日本情勢はというと、

1891年(明治24年) ロシア・ニコライ皇太子(ロマノフ朝最後の皇帝となる後のニコライ2世)が長崎を訪問
1892年(明治25年) 海星学園創立
1893年(明治26年) 長崎測候所・開設
1894年(明治27年) 日清戦争  (日清戦争当時、長崎にいた約1.000人の華僑の方々は、1894年約2割から3割程度に激減しました。)

そしてその長崎測候所。実は、現在の海星学園付近にありました。

1898年(明治31年)、第3代校長ニコラ・ワルテル師が4月に就任し、同年8月に煉瓦造り・コンクリート外装・屋根裏部屋も入れると3階建ての新校舎建設が完工。そのため長崎測候所は『ドンの山』(報時のために空砲を撃っていた砲台設置の山)こと風取山山頂へと移転しました。

少し余談が過ぎました。この『ドンの山』の通称由来は、空砲「ドン!」と撃ち報時を市民に知らせていたためです。

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案内板によれば大砲設置は1903(明治36)年10月。海星学園ができて12年目です。日本は前年に1902年日英同盟を締結し、翌年の1904年に日露戦争が開戦する頃。

ちなみに土曜日のことを『半ドン』というのは、この正午の「ドン」となる空砲に由来するとか。

当時は車の往来もなく、その音は長崎中に響き渡ったともいわれています。

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「大正11年8月に最新式の大砲に代わり1941(昭和16)年3月まで38年の長い間活躍しました。」と記されています。1941年は、12月に太平洋戦争が始まっています。

現在、公園として整備されている「ドンの山」。

※写真はドンの山についてのもの。