■第97回全国高等学校野球選手権大会
7月15日(水曜) 午前9時30分~予定 ビッグN球場
2回戦 海星ー諫早農業
■第60回長崎県吹奏楽コンクール
7月31日(金曜)10時~10時15分出演(出演順2日目1番)
■1学期終業式 7月17日(金曜) ※中央館立て替え、仮校舎引っ越しのため。
■前期夏期課外 7月22日(水曜)~8月7日(金曜)
雨の月曜日です。
今年の6月ー7月は、例年にも増して雨の日が多いような気がします。昨日は一日中曇天でしたが、蝉声は一日中聞こえ、いよいよ夏本番を感じずにはいられません。雨傘が日傘にかわるのも、もうそう遠くないです。
今週は金曜日に終業式。
1学期が終わります。そして仮校舎への引っ越しを経て、昭和33年建立・中央館の解体工事が始まります。いろんな意味で節目の週です。
週末、各クラブ活動は公式戦・遠征・練習試合・練習に挑みました。対戦いただいた各競技・各チームの皆様・各大会関係者の皆様ありがとうございました。また保護者の皆様、OB・OGの皆様におかれましては、いつもあたたかいご声援ありがとうございました。
土曜・日曜は校外模試が実施されました。日頃の成果を発揮するだけでなく、2日間に及ぶ模試は、長時間集中力を訓練する来たるべきセンター試験対策でもあります。県内高校は、同日開催で全国模試に臨みました。
土曜・日曜、生徒の皆さんはいつも通り元気に登校。
中央館歴史を探究するなか、学園についても今日は簡単にご紹介させていただきます。
オランダ坂は、活水学院から続く坂と、上記写真の石橋電停から続く坂があります。現在工事中のため、多くの生徒のみなさんは中学校側校門から登校しています。
そこにある史跡。
校門横にある石碑は、『武者返し』を彷彿とさせるような石垣・その上に西洋煉瓦、そびえ立つ壁下にあります。
この校門横に立つ看板には、こう記されています。
「当初、南山手にあったイギリス領事館は、現在の海星学園敷地内に建物を新築し、移転しました。当時、東山手にはイギリス領事館・アメリカ領事館もあり『領事館の丘』とも呼ばれていました。」
近代建築の巨匠・ル=コルヴィジェ氏のアトリエで学んだ吉阪氏設計「中央館」解体を前に、海星学園歴史そのものにまで興味、浪漫を感じずにはいられなくなっら1学期。看板にはこう続きます。
「イギリス領事館移転後は、スチイル記念校・東山学院・東陵中学校・海星学園と変遷しましたが、長崎外国人居留地時代の坂道・石垣の一部そのまま現存しています。」
(看板写真より)
写真に残る、「東山手イギリス領事館」。
建物には、左右から石垣階段でアプローチできる様子がうかがえます。多くの外国人、日本人が当時イギリス領事館を訪ね行き来しただろう階段。
校門を進み校舎・中央館を目指すと、何とその領事館に向かう階段が確かに現存しています。
ゆるやかで上りやすい階段をあがりきる頂上付近には、かつて領事館への玄関に続いたであろう階段も残っています。
上ってきた階段の対称側を下から見ると、こちら側の階段も綺麗に残っています。
何人の人達が、どんな異国の人達が、この階段を上り下りしていたのでしょう。
途中で立ち止まり、ここから長崎港を眺めながら、日本語・英語・フランス語、歓談した人達はたくさんいたことでしょう。現在は、この階段を横手に見ながら、私たちは学園敷地内・中央館を目指します。
「おはようございます。初日の模試科目手強かったです。今日も頑張ります!」
模試2日目、校舎にたどりつく最後の坂道。
昨日は朝から蝉も鳴き、じんわり汗をかいた生徒の皆さんが次々と登校してきていました。
坂を上ると、明治時代につくられたと思われる下グラウンドを囲む煉瓦が私たちを迎え、その先に校舎があります。
もしタイムマシンがあるのなら、19世紀の終わりに行って教えてあげたい。
「120年後、この階段は未来を担う多くの学生で賑わってますよ。」と。
明治25(1892)年、長崎市浪ノ平にフランス人マリア会員・ジャック=バルツ氏により創立され、明治28(1895年)年、現在のこの地・東山手に移転した本校。
洋館の新校舎が建設されたのは、明治31(1898)年です。
これから100年後の西暦2115年。
未来の海星学園で過ごす方々も、現在の私たちに、この階段を見ながら歴史と浪漫をきっと感じてくれるでしょう。
※写真は、昨日の様子。
担当 鶴野
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□男子・女子硬式テニス競技 H27 高総体 男子団体 優勝(17連覇)全国選抜大会出場・ 海星テニス部 HP
□ラグビーフットボール競技 H26 全国選抜大会出場 H27高総体 3位 海星ラグビーフットボール部HP