清明に入り、おそらく4月初めての雨の朝。
春先に降る恵みの雨。春の雪、春の雷と、その年の吉兆をもたらすものを季節にはつい期待してしまいます。今日の雨に雷は付いていませんでした。
今朝の気温は19℃。潤った葉桜が、水滴で生き生きと見える朝です。
シャミナード神父
生き生きとした生徒皆さんを迎える来週月曜日。9日(月)は、午前中・始業式、午後からは入学式です。昨日は、新高校一年生となる第73回生皆さんがオリエンテーションで登校しました。新制高校となり73回目の入学生となる皆さんです。
旧制中学時代・商業時代(大正期)
本学園設立の母体であるカトリック教会の一修道会であるマリア会は、1817年にフランス人シャミナード神父によって創立された。
マリア会は、カトリック精神に基づく学校教育と宣教を行い、フランス全土から近隣諸国に拡大され、現在では世界各地に数多くの大学、高校、中学校、小学校、幼稚園があり、総本部はイタリアのローマに置かれている。(海星百年史)
マリア会墓地
明治21年、東京・暁星学園にはじまるマリア会、日本での活動。明治25年 長崎・海星学園、明治31年 大阪・明星学園、昭和9年 札幌・光星学園、昭和25年 東京・昇華学園と、まかれた種は芽を出し今も大きく愛を与え続けています。
ある4月の好天に恵まれた日。海星学園・第23代校長 富永秋人先生に導かれ、長崎市若草町にある八幡神社へと足を運びました。
かつては海へと降りる道であったであろうと想像できる急な階段。富永先生の健脚を追いました。
八幡神社とは、日本古来から信仰されている武運の神。日本全国で祀られています。
静寂で神聖な時間が、春の木漏れ日の中でしばらく続きました。
「原爆前、私の姉2人はここで遊んでいたそうです。あの木の陰の向こうに、かくれんぼして遊んでいた姉が今にも『ここだよ。』と言って現れそうです。」
手を合わせる富永先生。
「さぁ、こちらへ移動しましょう。」
八幡神社横の細道を先生の健脚が案内してくれました。
すると眼下に現れたのは・・・
マリア会墓地。
富永先生は、主への言葉を唱えながら、また聖母マリアへの祈願をしばらく続けました。
筆者自身、125周年記念誌に携わる機会をいただき多くのマリア会・先人達の情熱を間近に感じました。その歴史の中に登場した方々を目前にした感動。それは言葉に出来ないほどでした。
「マリア会の活動を長崎で終えた先生方が、ここで永眠されていらっしゃいます。」
お祈りが終わった後、富永先生は先生が知る長崎の地で天に帰られたマリア会方々のお話をしてくれました。
マリアニストの先生方
「一番手前にある山田音吉先生お墓の埋葬は、当時光栄にも私もお手伝いをさせていただいたんですよ。」
山田音吉先生は、海星学園・第7代目(昭和44年ー昭和52年)理事長。
昭和39年ー昭和42年までは国語科教員として海星に奉職された先生です。
「今顧みても、先生から教わった時間が鮮明に蘇ってきます。」
富永先生も海星中学・海星高校出身の卒業生。昭和45年から海星学園に奉職し、平成19年ー平成23年3月まで校長を務めました。
「音吉先生を前にすると、それが墓前であっても心の中に中学生・高校生だった自分が顔を出してきます。音吉先生、ありがとうございました。」
山田音吉先生の横には、久次留吉先生、末吉好門先生もいらっしゃいました。
そしてマリア会像横に佇んでいる墓碑。
富永先生は、郷愁に満ちた声で先生方のお名前を読み上げていきました、
マリアニストの足跡
『道ばたにどんな種をまいても生えはしない。』
手元に、海星学園 第10代目理事長(昭和56年ー昭和63年)・第13代目校長(昭和29年ー昭和32年)であった野口光三郎先生(昭和19年着任)の手記があります。
『海星学園の創立者四人及びその後継者達が種をまいた心の土地はどんなものであったろうか。この種をまく人々は、祖国を後に、父母を離れ、兄弟と別れ、親戚と袂を分かち、親しい人をおいて遠く日本に渡ってきた。貞潔・清貧・従順の三誓願を立て、それをできるだけ完全に守るべく努力をつづけたのである。』(野口光三郎「種をまいた人々」海星八十五年史)
記念誌編纂中、何度もその名文と写真を拝見した野口光三郎先生の姿。
墓石板を見た時、砂漠に突如出現した泉から湧き出る真水が大地に次々と吸い込まれていくような想定もしていなかった衝動と感激をいただきました。
その後しばらく富永先生は、歴代のマリア会の方々について掲載されてある木寅神父著『マニアニストの足跡』を鞄から取り出し、その歴史とともに海星を語ってくれました。
ミスター暁星こと、村岡隆義校長先生の話も富永先生に伺いました。
「この先生は、戦後の海星を象徴する先生でした。」おもむろに富永先生が示した指先。坂本先生は、高齢でありましたが私の中学1年次の担任でした。
先生が示したのは、『坂本国作』と刻まれた墓石板。
坂本国作先生は、1932(昭和7年)年ー1961(昭和36)年、海星に奉職された先生。
「高島出身の坂本先生は、最も思い出深い先生です。」
そして杉山先生の話も伺いました。「札幌光星の校長も務めた杉山先生は、晩年まで自らの科目理科以外の大学入試問題をよく解かれていた大変な勉強家であった先生でした。」と、語ってくれました。
1993(平成5)年から、二世紀目に入った海星学園。
現在は125周年を迎え、今年の11月には創立126年目に入ります。
「多くの生徒、教職員、そしていつも私たちの道標となって一日一日を導いてくれたマリア会先生方の積み重ねが、現海星の隆盛に繋がっていることは間違いありません。坪光理事長(第13代目・平成28年4月ー)のもと、さらなる輝きを放ち続ける母校であって欲しいと、退職後も願っています。」
平成30年度。
清水政幸・第24代目校長から、武川眞一郎・第25代目校長へ。
新たな海星の船出。大海を進む船ではありますが、港はいつも心の中に。
※写真はマリア会墓地を案内紹介する海星第23代目富永校長。
平成30年 東京海星会主催・東京在住新卒者歓迎会
日 時 平成30年 4月21日(土曜) 16時00分~
場 所 東京都中央区築地4-12-6『築地郎』
tel03-6278-7753
※新卒者ではなくても構いません。東京在住、もしくは高校・大学を卒業し関東近郊にいらっしゃるOB・OGの皆さん、お待ちしています。詳細は、海星同窓会事務局・濱崎(英語科)まで【tel 095-826-7321】