桃の節句の翌日は、雨の朝になりました。
節気は『啓蟄(けいちつ)』。冬籠もりをしていた虫たちが陽気に誘われ、土の中から姿を現す頃です。表記写真と写真に記された赤ペン説明は、後ほど。まずは休校1日目の皆さんに校長先生からメッセージが届いています。
海星中学校高等学校の皆さんへ
校長 武川眞一郎
おはようございます。3月4日水曜日、臨時休校1日目です。
昨日、校内放送で伝達しましたように、今回の臨時休校は新型コロナウイルス感染症の感染予防のため実施されました。そのことをよく理解して行動してください。
今回の臨時休校は、生徒の皆さんが感染症に罹らないようにするための対策であると同時に、生徒の皆さんがウイルスを伝播しないようにするためでもあります。報道されている内容では、今回の新型ウイルス感染症は感染しても症状が出ない感染者もいます、人が多く集まる場所等に行くことで、症状が出ない感染者からウイルスを貰うなどして感染者が増える可能性があるようです。
次のことをしっかり守って生活してください。
(1)自宅では、咳エチケットを守ってください。手洗い等をしっかり行って下さい。
(2)規則正しい生活をし、課題などを行って下さい。
(3)相談等がある場合は、学校に電話連絡をしてください。
(4)登校しなければならない用事があるときは、自宅を出る前に学校に連絡し先生の指示に従ってください。
写真の歴史
さて表記上の写真。
これは1935(昭和10)年に撮影された写真です。撮影場所は、なんとお馴染み上グラウンド南館の楠木前なのです。今から85年前です。
そして今年撮影された写真。
楠木の赤ペンの部分に注目していただきたい。
場所「楠木から人物までの距離」と「楠木に対する撮影者の場所」は異なりますが、ともに同じ上グラウンドにて撮影された写真です。
一番上の写真は『海星100周年記念誌』から引用しました。楠木は、海星校舎が東山手のこの場所に建った1895(明治28)年よりあった(植樹された)ものと推測されます。
原子爆弾投下の1945年8月16日の楠木の様子が『海星八十五年』には記されています。
「海星の校庭にある大きなくすの木は、原爆の直後に見たときは何の変化もなかった。ところが翌日になると、浦上の方に面した葉が薄く焦げた色になっていた。家の障子の紙もそうであった。当時は何ともなかったが翌日になると焦げ茶色に変わり、まさに発火寸前のありさまだった」
1988(昭和63)年頃撮影
令和2年3月4日(今朝撮影)
受け継ぐ伝統 新たな歴史
多くの先輩方がこの校舎でたくさんの実りある経験をされ、多くの困難を乗り越え、素晴らしい喜びを経験されてきました。
※写真は楠木と卒業生皆さん。