※海星ホームページTopには、様々なカテゴリがあります。詳細な行事予定につきましては、Topページ『月間行事予定表』からお入り下さい。
■マリア会姉妹校HP紹介
1888年(明治21年) 暁星学園創立 東京
1892年(明治25年) 海星学園創立 長崎
1898年(明治31年) 明星学園創立 大阪
1946年(昭和21年) 光星学園創立 北海道
■平成28年度
始業式・入学式 4月8日(金曜)
今朝の気温は14℃。
一気にあたたかくなり、見渡せば草木の彩りと、小鳥のさえずりが朝に戻ってきています。
3月も残すところ、あと2日になりました。
第68回生卒業式に始まった年度末3月。69回生となる2年生の研修旅行や選抜大会への男子硬式テニス部・野球部の出場など、年度末の余韻に浸る間もない充実した3月を私たちは今年も過ごしています。
昨日は第71回生となる新入生男子の皆さんへの制服引き渡しが行われ、本日は新入生女子の皆さんへの制服引き渡しが行われます。
春休み。
各クラブ活動は公式戦・遠征・練習試合・練習に励んでいます。昨日も野球部応援団の帰崎頃、九州ジュニア県予選に出場している男子硬式テニス部が出発していました。(詳細は、海星男子硬式テニス部HPを是非ご覧下さい。) そして剣道部も顧問 阿部先生とともに出発、朝から大変活気のある一日でした。
甲子園応援団は昨朝午前5時前に長崎に戻りました。多くの皆様の多大なるご声援・ご支援改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
さて、昨日から海星ホームページ・ヘッダーが平成28年度版、新しくなりました。
ご案内申し上げます。
長崎・海星学園は、1892(明治25年)年創立で、来年125周年を迎えます。
長崎市を象徴する名所『オランダ坂』をのぼり生徒の皆さんは東山手町にある学園に登校します。教室の窓からは、グラバー園・女神大橋・稲佐山を望むことができる景観は、海星ブログで何度もご紹介させていただいています。
今日は海星学園周辺の景観をご紹介させていただきます。
現在、海星学園が位置する東山手町は、東山町・元町・日の出町・中新町などに隣接しています。
1856年、下田(静岡県)に着任したアメリカ総領事ハリスとの間で江戸幕府との交渉が開始され、1858年に日米修好通商条約が結ばれました。この条約には、神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港が盛り込まれていました。
さらに外国人居留地を設けることが合意されたため、長崎でも東山手町をはじめその周辺には多くの外国人居留地が造成されました。
東山手周辺は、もともと段々畑で、そこを住居用に造成。現在でも残る石垣に、当時の面影を見ることができます。
道路も整備され石造の道は至る所で生活道路として生きています。
住居がない場所は、現在は所々公園として活用されています。
東山手町から続く元町の坂を上っていくと長崎港を見渡せる景観が大きく広がります。
真ん中やや左に見える青い屋根が海星学園です。
この坂を上ると、通称・ドンの山 といわれた山頂にたどり着きます。何故『ドンの山』と呼ばれるのか。
案内板によれば、この大砲設置は1903(明治36)年10月。海星学園ができて12年目の年までさかのぼります。
当時の日本は、前年に1902年日英同盟を締結し、翌年の1904年に日露戦争が開戦する頃です。
この大砲は空砲を発射し、市民に正午を知らせました。
大正11年8月に最新式の大砲に代わり、1941(昭和16)年3月まで38年の長い間活躍しました。ちなみに同年12月に太平洋戦争が始まっています。
現在、この「ドンの山」も公園として整備されています。
昨日は、コブシや5分咲きの桜が綺麗でした。
東山手町には外国人個人住宅ばかりではなく、学校も多く建てられました。
海星学園が現在の場所に移転したのは1895(明治28)年。
プロテスタント系のスクールが多かった中で、海星学園はカトリック系スクールとして敷地を並べることになりました。
(海星学園には通称・上グラ、下グラといわれるグラウンドがありますが、写真手前は男子サッカー部が利用する『かみグラ』より望む海星校舎)
日本の開国、そして長崎開港の歴史とともに、海星学園の歴史は始まりました。
※写真は昨日、海星学園周辺の様子。
■3月29日