明日11月1日は125周年記念式典


朝6時。

ゴーン、ゴーンとお寺の鐘音が、どこからともなく聞こえてきました。気温11℃の今朝は、特によく聞こえます。そのお寺の鐘音を聞きながら見る海星修道院に「まさに長崎」という思いがこみ上げてきました。

明日は125周年記念式典

記念式典、その後の祝賀会と明日はご参加いただく方々は収容の関係上どうしても限られてしまいますが、天気予報も現時点では良好のようで、海星は明日125周年目を迎える準備が整っています。

今朝は多くの方々にご協力いただき、長崎新聞にも125周年を迎える記事を掲載させていただいております。どうぞ、ご覧下さい。

海星野球部

明日の125周年記念式典を前に、本日紹介するのは、昭和51年・夏の甲子園大会(ベスト4・川口部長・井口監督)で、サッシーの愛称で親しまれた豪腕・酒井圭一投手も在籍した海星野球部です。

本日の長崎新聞には、酒井投手からのお祝いの言葉もいただいています。

1915(大正4)年の創部以来、甲子園に初出場したのは昭和34年です。(旧中央館が完成した翌年) 昭和35年、秋の九州大会では池辺投手を擁して優勝を果たしました。

史書・海星八十五年には以下のような記述があります。

昭和5年8月27日、全九州中等学校選抜野球大会で、海星が初優勝した。夏の甲子園大会に出場したチームを除き、九州に残留したチームのトーナメント戦である。

この年は佐賀県主催であった。一回戦は、地元佐賀随一の競合で優勝第一候補と自他共に認めていた唐津中学と対戦。大接戦の末に、二対一で辛勝。二回戦では大分県の中津中学と対戦、これも大接戦で九対八の辛勝。

決勝の相手は佐賀商業であったが、海星の打力が大いに奮い、六対三で見事優勝した。

9月18・19の両日浦上原頭における県下中学校体育大会の野球大会でも、長崎師範、佐世保中学、大村中学を打ち破って決勝戦では長崎中学と対戦。八対三で優勝している。

7月の全国大会北九州予選大会は、福岡の春日原球場で開かれ、海星は、小倉中学、筑上中学、飯塚商業に勝利したが、強豪小倉工業に八対二で敗退した。

しかしながら海星野球部が優勝旗二本を獲得したのは、創立以来、最初のことであった。(ー海星八十五年)

1930(昭和5)年から時は流れ87年後。

同じユニフォームを着て現在の海星部員が人工芝になった上グラウンドに集合。

彼らの後方には、今朝の新聞にも掲載されている楠の樹が見えます。戦時中、各学校には配属将校がいました。同じ場所ながら時代の変遷を感じずにはいられません。

平成になった現在も29年目。

人工芝になったグラウンド、Kaiseiのロゴ前で集合。

歴史あるクラブ活動

そして彼らの後方では、早朝らか自主練習するサッカー部の姿。海星創立当初のフランス人先生が広めたといわれるサッカー部。

数多くのクラブ活動が現在も活躍しています。

旧制中学時代から盛んだったラグビー部、戦前戦後を通じて活躍している硬式テニス部。

昭和23年の学校改革で発足した海星高校・海星中学、昭和25年に運動場を購入し、その校外運動場でよく練習した陸上部、戦前から活躍している剣道部、昭和48年には高総体で準優勝した柔道部、男子バスケットボール部高総体初優勝は昭和50年です。卓球部県大会優勝は昭和23年。昭和24年からはじまった長崎県高総体の歴史の中で優勝9回を誇るバレー部。

その他数多くのクラブ活動が、長い歴史の中で活躍し、現在は女子クラブ活動も大変盛んです。

 

異国情緒ある長崎。その真ん中、オランダ坂を上り東山手に位置する海星学園。

125年目からの活躍にも、どうぞご期待下さい。

※写真は、野球部。