鎮魂の碑


 

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賑やかな蝉の声。空には雲がかかります。気温は27℃。

 

本日8月6日(土曜)は『広島原爆の日』、そして、8月9日(火曜)は『長崎原爆の日』です。原爆死没者の御冥福と、核兵器の廃絶並びに世界の恒久平和の実現を祈念する両日。

 

9日(火曜)の『平和祈念式典』においては本校放送部の今道さんと山下さんが司会を務めさせていただくことになりました。

 

(本校生徒と被爆者代表 宮田 隆 様)

 

祈りの1日となる本日、一つのご縁からいただいた平和に関するエピソードをご紹介させていただきたいと思います。

 

鎮魂の碑

 

東京ドームにある『鎮魂の碑』

日本プロ野球草創期にその青春を燃やし、プロ野球の礎を築いて、戦争に散華した選手たちの霊を慰めるために建立されたものです(野球殿堂博物館HPより)。

 

碑には旧海星中学校時代に本校を卒業し、プロ野球選手になられた柴田多摩男選手と荒木政公選手の名前が刻まれています。

 

 

お二方とも20代で戦争に招集され、戦病死されています。同時代に活躍した両選手は海星高校初のプロ野球選手です。

 

先日、柴田選手の弟様よりお手紙と貴重な写真を海星学園に寄贈いただきました。

 

「兄は文武両道に優れ、野球を愛し、学問も頑張った人です。」

 

お手紙にこのように綴られていました。

 

柴田選手が入団した「名古屋金鯱軍」は、1936年から1940年まで活動した日本のプロ野球球団(当時の職業野球)です。1941年、相次ぐ徴兵によって選手不足となり、「翼軍」と合併して「大洋軍」となりました。

 

 

柴田選手がプレーヤーとして活躍したのは名古屋金鯱軍で2年間、大洋軍での1年間の合計3年間でした。現役時代は主に捕手として出場していましたが、内外野も守る万能選手だったそうです。

 

「兄が生きていた証を後生に残していただくことができて、とても嬉しく思います。」

 

『鎮魂の碑』に名前が刻まれたことへの想いでお手紙はとじられていました。

 

実はこのお手紙をいただいたのは、去年の秋大会を観戦されていた柴田選手の弟様、本校野球部伊藤選手のお祖父様と偶然ビッグN球場でお話させていただいたことがきっかけです。

 

 

野球を通じて過去から未来へとつながるご縁。

偉大な卒業生をご紹介できたことを誇らしく感じます。懸命に生きても戦争に翻弄され、やりたいことができなかった時代に想いをはせ、懸命に今を生きることを考える一助になればと思います。

 

※写真は鎮魂の碑、柴田選手、柴田選手の弟様と伊藤選手のお祖父様。