昭和10(1935)年卒業アルバム・グループ写真
(昭和57年長崎大水害で損失する以前の眼鏡橋を背景に)
創立125周年を昨年11月に迎えた今年度が、本日で終わります。昨日の雨が残る、今朝の気温は11℃。
気温10℃超える日が続いています。明日は立春。通学路を歩いていると、東山手の町並みには開港当時からの歴史を感じずにはいられません。そのまま残っているもの、あらたに造成された場所。今昔が混在する歴史ロマンあふれる場所で、私たちは学び続けています。
※春休み中、海星ブログは不定期更新です。
126年目に向けて
新たな航海を始めている本校。
今年はこの記念すべき周年ということもあり、私たちは『海星』の歴史を今までになく身近に触れることができた年でした。
明治41(1908)年 海星卒業アルバム・集合写真
遙かフランスから教育に並々ならぬ情熱をもって日本に来たマリア会の先人達。建学までの苦労、それを乗り越える教育への熱量。明治、大正、昭和、平成。
大正14(1925)年・卒業アルバム 射撃部優勝
今日は125周年を迎えた年度の第3学期終業式という機会を借り、大正14年に「現役将校学校配属令」が公布されてからの歴史をご紹介します。
海星には大村歩兵四十六連隊より派遣された江口四郎大尉が最初の配属将校でした。当時の気配により、キリスト教学校として苦難の歴史がこの頃から始まります。
それでも昭和初期・昭和元年には、まだフランス・アジア艦隊に属する巡洋艦が長崎に入港したのを機会に演奏を聞くことが出できる友好ムードが残っていました。
「海星にフランス軍楽隊を招待して素晴らしい演奏を、一同うっとり聞き惚れ、曲が終わる毎に拍手喝采だった。」(海星百年史 昭和元年5月7日)
フランス軍音楽隊・海星講堂にて演奏会
ウォール街を発端として世界を飲み込んだ大恐慌・昭和4(1929)年になると、いよいよ様々な困難が日常的に訪れます。
しのぎを削る世界が帝国主義の時代。記録には詳細に残っていますが、ここで記述では書きあらわせないような仕打ちが海星をおそいます。当時、キリスト教系の学校で教育を続けていくことは、それほど困難でした。
第9代 アルベール=ダイバー校長、第10代 ジョゼフ=ケール校長らの真面目で剛直、そして教育への情熱で、その全てを海星は乗り越えました。(校長は再三にわたる当時の県庁への呼び出し、久留米十二師団長からの尋問、毎日にわたるこの時代の新聞記者等からの質問状など、それらで想像を絶する出来事があった。)
世界大戦前夜
昭和7(1932)年 1月28日。上海事変が起こります。
長崎と関係が深かった上海でのこの事変は、長崎にとってみれば全く嬉しいことではありませんでした。「3月2日から10日かけての一週間あまりの間に、長崎丸と上海丸によって長崎に引き上げてくる人の数は1万人近くに及んだ。」(海星百年史)
昭和9(1934)年 1月18日。
国際連盟日本代表である松岡洋右が来崎。前年3月1日に日本が国際連盟を脱退するに至った中心人物の来崎。海星からも代表が長崎駅街頭に出迎えました。漂う世界戦争の気配。
海星・上グラウンドでの教練
それでも学生達は、学校では力強く青春を謳歌します。
級友と交流を深める生徒皆さんの姿やこの時代をその生徒皆さんと一緒になって時間を過ごした教職員の姿。
現在も私たちの日常に残る風景の中で闊歩する先輩方を、今年は沢山拝見することができました。
昭和8年卒業アルバム・グループ写真(現在のオランダ坂大曲)
原爆投下以前・旧浦上天主堂横での大会(現在の長崎大学医学部付近)
諏訪神社への参拝(時代を感じる文字が躍る)
昭和13(1938)年。
配属将校の石丸大佐に「外国人校長の最後を飾った名校長」とまで言わせたケール校長が辞任。東京姉妹校・暁星において閑職に就かれることとなる。戦時色が一層濃厚な時代へ。
国語科 鶴田先生が応召。
この年、射撃部・サッカー部は県下体育大会で優勝。野球部も優勝。海星学校力は一層隆盛。
サッカー部は福岡大会においても、一回戦小倉中学に1対0、豊国中学には3対1、決勝では例年のライバル嘉穂中学に5対0と勝利し優勝した。射撃部は満州からはるばる来た大連一中に敗れましたが、全国大会では第2位。
昭和18(1943)年、皇紀2603年と記された卒業アルバム。
「紙不足にもかかわらず、やっと完成したこの年のアルバムが旧制中学時代の最後の卒業アルバムである。翌年からは教科書さえ、わら半紙を使用したのである。」(海星百年史)
終戦前頃・海星修道院周辺を畑にして
そして以前も海星ブログで紹介させて頂いた苛烈な経験を海星は生徒職員一丸となって乗り越え迎え昭和20(1945)年、終戦。125周年は、かつての時代の海星に現代の私たちが再会し、現在が過去の積み重ねの中にあることを再認識できた年でした。
ここに興味深い資料があります。
終戦2年前・昭和18(1943)年の在籍者数と、終戦2年後・昭和22(1947)年の在籍者数。
昭和18年(1943)
学 年 | 第一学年 | 第二学年 | 第三学年 | 第四学年 | 第五学年 |
在籍者数 | 231 | 221 | 232 | 189 | 186 |
■合計 1.059名
昭和22年(1947)
学 年 | 第一学年 | 第二学年 | 第三学年 | 第四学年 | 第五学年 |
在籍者数 | 238 | 247 | 256 | 207 | 166 |
■合計 1,114名 ※新制高校・中学になるのは翌年・昭和23(1948)年。
「昭和18年度の生徒数よりも本年が合計数において55名多かったと言う事実は、海星が原爆、終戦と立て続けに起こった国家、社会の動乱の大火の中にあっても動転することなく、かくも速やかに立ち直り、復興し得た証明として誇りを持って記録にとどめておきたいのである。」(海星百年史)
時は遙かに流れ、昭和から平成へ。
平成18(2006)年、ステラマリスコースに第一期女子生徒34名を迎え『男女共学』となった海星。今年度は男女共学になり12年目でした。
平成22(2010)年には、早くも女子硬式テニス部が高総体で優勝、女子サッカー部は第3位。平成23年にはOB原田氏がロンドンオリンピック出場など、海星は新たな歴史を着実に刻み始めています。
4月からは第73回生を迎え、『海星』は126年目に向けて新たな歴史をまた歩み始めます。
※写真は、海星アルバムより。
平成30年 東京海星会主催・東京在住新卒者歓迎会
日 時 平成30年 4月21日(土曜) 16時00分~
場 所 東京都中央区築地4-12-6『築地郎』
tel03-6278-7753
※新卒者ではなくても構いません。東京在住、もしくは高校・大学を卒業し関東近郊にいらっしゃるOB・OGの皆さん、お待ちしています。詳細は、海星同窓会事務局・濱崎(英語科)まで【tel 095-826-7321】
第40回全国選抜高校テニス大会
平成30年3月20日(火曜)~26日(月曜)
博多の森テニス競技場・春日公園テニスコート(入場無料)
第5回定期演奏会
平成30年3月21日(水曜)祝日 13時会場 13時30分開演
長崎市民会館大ホール(入場無料)
■演奏楽曲 喜歌劇『ほほえみの国』セレクション
GR シンフォニックセレクション
Highlight from LALALAND 他
第21回放送部フェスティバル
平成30年3月21日(水曜) 13時~
長崎県立総合体育館
第142回九州地区高等学校野球長崎県大会
■3月29日(木曜) 12時00分~予定 ビッグN球場
2回戦 海星ー(長崎鶴洋 対 諫早)勝者
團俊晴展
平成30年3月18日(日曜)ー3月31日(土曜) 平日12時ー18時/土日祝 10時30分ー18時 (火曜定休日)
カリオモンズコーヒー大村店 大村市坂口町520-2
■團俊晴 海星美術部顧問
2015年 第60回記念長崎県展 野口弥太郎賞受賞
2016年 第25回記念英展 優秀賞
2017年 海星学園新中央館壁画コーディネイト
2018年 第13回長崎県選抜作家美術展 出品