(明日・中学入試)東山手周辺紹介


 

早朝のお星様とお月様がとても綺麗です。

月光とレトロ調の街灯に照らされたオランダ坂をのぼった場所にある海星学園。最近は観光客や修学旅行生の皆さんをお見かけするようになりました。

教室の窓からはオランダ坂をはじめ、グラバー園・大浦天主堂・女神大橋・孔子廟・稲佐山・長崎港などなどを望む観光地に立地している学園ならではの光景です。

 

札幌では積雪のニュースも聞かれましたが、現在東山手上空は雲一つない空で気温は10℃。お天気に恵まれ、週末はまた賑わいそうな気配です。

 

(明日・中学入試)東山手周辺紹介

明日はいよいよ中学校奨学生試験Ⅰを実施いたします。受験生皆さんの健闘をお祈り申し上げます。

中学生、高校生になると足も伸びて長崎市内外を往来する機会が増えると思いますが小学生、皆さんはどうでしょうか。路線バスや長崎特有の路面電車での移動機会は、まだ多くはないと想像いたします。

そこで海星中学校がある東山手周辺を過去の海星ブログから少しだけ今日はご案内させていただきます。

 

通学路の一つ『大浦海岸通り』。そこから曲がるとオランダ坂。その坂上に海星学園はあります。

と、ここでちょっと待って下さい。大浦海岸通り沿いに建つ『長崎みなとメディカルセンター(市民病院)』前に石碑があるのをご存じでしょうか。

野球部皆さんが三和グラウンドへ練習に行く際はこの先でバスの乗降をしますが、まさにその近くにある2つの石碑。

最初に奥の石碑をご紹介いたしますと…

 

この石碑は現在の『税関』にあたる、運上所跡を示す石碑です。

運上所という呼称は1863年(江戸末期)から。それ以前は湊会所と税関は呼ばれていました。その湊会所跡も、この近くオランダ坂入り口の場所にあります。

オランダ坂入り口にある『湊会所石碑』。この坂を登れば海星学園校舎

毎日長崎の歴史を感じながら通学できそうです。

 

そして、その運上所跡石碑に並んである、もう一つの石碑。

我が国で初めて、鉄道が走った場所がここです。

鉄道創業は、1870(明治3)年。横浜港で陸揚げされ建設が進み、2年後の1872(明治5)年に初代横浜駅が建築され、横浜ー品川間に最初の鉄道が営業開業していますが、その鉄道建設5年前に日本で初めて機関車が走った場所(試走)がこの場所なのです。

 

現在は路面電車が通り、現代人の足となった自動車が行き交っているこの道路が、日本初の鉄道発祥の地。

歴史ロマンを感じずには居られない場所で、かつては鉄道ファンの方々が来て写真を撮られている姿をよくお見かけしました。通学路にこのような歴史的な場所があるのは何とも誇らしく感じます。

 

またその2つの石碑近くに案内説明板があります。

日本人なら誰でも知る歴史上の人物や出来事が書かれている案内説明板。目を閉じると文明開化の息吹が聞こえてきそうです。東山手町周辺が当時は長崎の中心であり、日本の窓口として大きな役割を果たしていたことが分かります。

 

そしてオランダ坂を登ると見えてくる校舎。

ちなみにオランダ坂は以前はもっと細く狭かったです。オランダ坂はよく見ると金網が張ってあります。ここが以前は海岸絶壁で発破によって岩を砕いて道を作った切り通しだからです。

 

坂を上り通称『大曲』に到着。そこをそのまま左に曲がらず、案内板にある海星中学校・高等学校(ステラ・マリス)・シャミナード寮と書かれた矢印右に歩を進めます。

 

すると左手に案内説明板が現れます。

 

この東山手にあったイギリス領事館。このイギリス領事館跡に、現在海星中学校校舎があります。

 

中学校舎の土台には、かつてイギリス領事館の方々が往来した階段が、現在も校舎内には残っています。

 

海星学園が位置する東山手町は、東山町・元町・日の出町・中新町などに隣接しています。

 

日没時間が早くなっている昨今、完全下校の時間になるとごらんのような幻想的な夜景が通学路には広がります。

原爆による被害が少なかったため、明治時代の道幅がまだ残っている街なので、密集している街の光は冬になると輝きを増します。

教室窓から見える、稲佐山・グラバー園・大浦天主堂・女神大橋などの観光スポット。

長崎市の真ん中で皆さんと過ごす三年間を学園一同、今から楽しみに待っています。

 

※写真は学校周辺の様子。