三月は冬と春の境目の時期です。そして、春の代名詞ともいえる桜の時でもあります。
近年は、地球温暖化のせいか少しずつ開花が早まってきているように感じられますが、それでもやはり桜を見ると、さまざまな思いを抱かずにはいられません。
学生の頃は「これまでの生活が終わり、新しい生活が始まる」ことへの期待と不安を抱く時期でしたが、今はまた別の思いが沸きあがってきます。
私の好きな本に次のような言葉があります。
「若いうちは桜を見て、今後幾度でも見られると思うものだが、桜をまじまじと見ることなど、実際は十度もあるかないかよ。(中略) 桜の美しさすら我が子に語れず人として生涯を全うしたと申せるのか?」
山田芳裕『へうげもの』
また、このような言葉もあります。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。」
梶井基次郎『桜の樹の下には』
桜とは命の美しさの象徴であり、同時に儚さの象徴でもあります。
美しさを感じるのは、その美しさに終わりがあるからだと思うのです。
桜の季節が近づくと同時に、一方では海星中学校を旅立つ生徒達がいます。
例年、海星中学校では、卒業式の二日前に予餞会を行います。
予餞会とは、在校生が感謝を込めて卒業生を送り出す会です。
先週木曜日の3月7日は予餞会、そして3月9日(土)は海星中学校第77回卒業証書授与式でした。
3月7日の7時間目の予餞会は、生徒会を中心に運営されました。
16に分かれたグループ毎に、誕生日順に並んでいくバースデーラインや本校ではお馴染みのジェスチャーゲームを行い、賑やかかつ楽しい時間を過ごしました。
そして、3年生の先生たちからの想いがこもったビデオメッセージ、教頭先生からの送別の言葉と、濃密な45分となりました。
在校生と卒業生の直接的な交流はこれが最後となりましたが、それぞれにとって掛け替えのない時間となったようです。
3月8日(金)は、在校生が卒業式に向けたシート引きや椅子並べ、最後のHRの会場作りに励みました。
卒業生は惜別の歌や礼法の練習を行いました。
そして、全校生徒揃って式の予行や各賞授与式を行いました。
そして、3月9日(土)が、いよいよ卒業証書授与式。
厳粛な雰囲気の中で執り行われ、全校生徒が立派な態度で臨んでいました。
今週はもう、3年生の姿を校舎で見ることもありません。
3年生の教室があった校舎1階の静けさが、寂しくてたまりません。
学び舎を離れ、旅立つ彼らに、これら二つの詩を送ります。
勧酒 酒を勧む
勧君金屈巵 この盃を受けてくれ
満酌不須辞 どうかなみなみ注がしておくれ
花発多風雨 花に嵐のたとえもあるぞ
人生足別離 「さよなら」だけが人生だ
(于武陵) (訳 井伏鱒二)
さよならだけが人生ならば 寺山修司
さよならだけが 人生ならば
また来る春は なんだろう
はるかなはるかな 地の果に
咲いてる野の百合 なんだろう
さよならだけが 人生ならば
めぐりあう日は なんだろう
やさしいやさしい 夕焼と
二人の愛は なんだろう
さよならだけが 人生ならば
建てたわが家は なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは なんだろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません
精一杯生きていく彼らの人生に桜が咲き誇ることを切に願います。